…仏は彫った。魂はこれから?…

一月八日、日本武道館で開催されました『平成30年 鏡開き式・武道初め』に足を運んでまいりました。

 

弓道、薙刀、居合(剣道)、銃剣道、相撲、柔道、合気道、空手道、少林寺拳法

といった武道家、武道をたしなむ方々が集まって、日ごろの成果を発揮しておられました。

会場内でロシア語が良く飛び交っているな…。と思っていると、今年はロシアにおける日本年。日本におけるロシア年。というアナウンスが、ご来賓にもロシアからお越しの方々がちらりほらり、鎧武者姿でご着席、ご挨拶なさっておいででした。

 

「三献の儀」ののちに行われる「鏡開き」。木槌によって打ち開く理由は、「刃物を使って割る」のは「切腹」を連想させて縁起が悪いという武家社会の風習をそのまま引き継いでいる。
「三献の儀」ののちに行われる「鏡開き」。木槌によって打ち開く理由は、「刃物を使って割る」のは「切腹」を連想させて縁起が悪いという武家社会の風習をそのまま引き継いでいる。

近年、日本における武道学習が必須になったとかで、その影響か子供たちが増えたと感じていましたが、開会のあいさつに立たれました高村正彦氏によれば…

『…仏は彫った。魂はこれから…』

なのだそうです。よく見られておいでです。入場待ちしているときに私の足を何度も踏んでは人の顔色うかがって走り去っていった子供を思い出しました。

例え武道に触れていたとしても、それを理解できているとは思えない。同様に、身に着いているとは思えない。すべてはこれからというありがたいお言葉でございました。

しかしながら、昨年上野で開催された運慶展…。ご存知、たぐいまれなる才能を世に示した仏師運慶の作品展ですが…。仏師は彫るとき、既に魂を込めて掘り進めて行くものです。仮にも私、慶派の名前「泰慶」をいただいている者からすると、ちょっと異を唱えたくなる発言でしたね。

なので、勝手に言い換えることにいたします。

『…重箱は用意した。御節はこれから…』

ちょっとお正月には遅すぎる引用ですが、

人格形成という観点から(武道教育の)必要を感じて取り敢えず入れ物となるお重(科目)は用意した。ところが、そこから食べるための様々な料理は(そこから育つ人間一人一人が武道を生涯の学習科目として磨きをかけていくかどうかは)これから作らなければならない

という風にとらえて、これからも指導に自身の修練に励むことにいたします。

それでは皆様、道場にてお目にかかれる日を楽しみに致しております。

いつも心に運慶を

昇段審査見聞

本日昇段審査に参加されました皆様、お疲れ様でした。
本日を思い描き様々に努力に努力を重ねてこられたことと心を巡らし、自分も初心に還ることが出来ました。ありがとうございます。

さて、ここからはあくまで私の個人的感想と愚見です。

昇段審査の内容は規定されて以来、広く知られて当然だ。その内容を理解した上でそこに臨む以上、NO EXCUSEというのは極当然の道理である。
以上のことから、そこに立つ仲間に血の通った声を送る情の厚さは、一見して矛盾に思える。しかしながら、そのような前提が在るからこそ、人柄を察する重要な材料だと言える。
思い返してみてください。誰かが指示したわけではない。
同じ空間を、ほんの僅かな時間だが仲間と認めて自然と声をかけていたはずだ。
ともに過ごした苦痛は、乗り越えたとき代えることの出来ない喜びと仲間を産み出すものです。

武道の山をまず一段。ここまで来て、登ったつもりになったのか、自らの先が見えたのか、そこで帰って行く者が後を絶たない昨今です。朝から晩まで毎日どっぷり漬かれとは言いません。しかし何度も出入りを繰り返し、その先を手に入れてもらいたいと感じているのは、私に限ったことではないだろう。
そうする中で、そこで出会う人たちとのつながりを大切に保つ事は出来ないものだろうか?
武道は生涯学習として最高の教材だと思うのだが、つながらなければそこで…。

文化も同じです。引き継がなければ続かない。
そして、続けなければ引き継ぐ人に巡り会わない。
巡り会うボタンの掛け違いが、技術をより不明瞭にする事もあるだろう。それこそ永遠の研究課題をたまわったと思えばいい。

さぁ、武道という文化を楽しもう。

April – 頭の中を整理していくと…。

世間ではエイプリル・フールというそうですが、冗談抜きで命のやり取りを考えている人は非常に少ないと思います。

だからでしょう。頭の中で練ったものが、きっちり、かっちり、当てはまるかどうか、途中から派生する動きはないか?
考え始めると、時間が飛んでいきます。
で、そんなときに必要なのは…。

1、方眼紙
2、粘土
3、アクション仮面のアクションフィギュア(紐を引っ張ると喋ります…。ウソ)
4、3は高価な出資ですが、手製の紙佐衛門1号~45号位まで…(折り紙だったり、粘土だったり)

最終的にこの眼で確かめる必要があるので…。

5、実験のために道場生を生け贄に召喚する…(後学のためにもなるのでやることあります)

ビンボーは手伝っていませんが、36人までは独りで倒せる。
という結論に至っております。が、ここまで来ると、チェス、詰め将棋や、囲碁と同じ作業ですね。
ぁ、もちろん打撃の組手に限った考え方です。

組技を入れることを考えると…。
多く見積もって12人を殺している間生き残れれば、幸せだという結論に達しています。
この際に獲る関節は全て命に関わる関節(首)以外に存在しません。
在る意味で、打撃を加える事よりも、爆発的な発力を必要とするので、正直、12人を連続でというのは難しいでしょうね。
ただ、殺しておけば、地面に倒れるまでは良い盾になってくれますし、上手に重ねていけば、死んだ後も盾になります。もう一つ、倒れているだけで、相手に恐怖という副産物をプレゼントできるうえに、ひょとしたら、後日には寅さん午さんになってくれますから、組むことを考えるなら、殺しておくことは必須です。

最初の一人、そして、彼?が地面に倒れるであろうという時間で3人目か4人目…。それをどこに重ねていくか?
という風にきちんと計算しながら動かないと12人は難しいです。
ちなみに、このときの正しい処置は、『組んだら殺される』という恐怖心を相手に植え込めば良いので、打撃で殺すことを考える必要がないので簡単と言えば簡単です。

得意分野で勝負するために、あえて苦手で仕留めておくというところでしょう。

平素にこんなことを考えている人は異常者だという人もいらっしゃるとは思いますが、次の言葉を返しに使わせていただきます。

『練習は試合のつもりでやれ!そうすれば試合で上がって、普段の力を発揮できないことはない!』

死にそうになってから生き残る方法を考えますか?棋士大山先生は著書の中で『もうだめだ、と思うときは実はそうではない。未だ助かっている』というようなことを述べていらっしゃいました。冷静にご自身を見ていらっしゃいます。プロ棋士というのは勝って当たり前、当然それでご飯を食べていくわけですから、将棋と名の付くところでは真剣に勝負をなさっていらっしゃいます。ある意味で、武道家たちよりもずっと心の武道をたしなんでいらっしゃるわけです。

そういうことですから、危険になってから、『護身術』を思い出そうとするようでは、命が幾つ在っても足りる筈がない。
ということなんですが…。

で?如何です?
平素に、突然降って湧く『絶体絶命のピンチ!』。これをどのように切り抜けるのか?ぜひ、平素に窮地を考えてない方々にうかがってみたいものです。

あなた、毎日自分自身と闘っていますか?

それでは道場でお会いしましょう。

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