朝霧JAM、ゆるゆるとスタート

さぁ、始まっちゃいました。(アップする頃には終わっちゃってますけど)朝霧JAM2017。
大したお手伝いになっているという自信も自負も在りませんが、自分に出来ることをやりきるだけです。
このお手伝いに関して、誰かからの師事をいただいたとか、教えてもらったという記憶は在りませんが(渋谷の焼肉屋さんでバイトもしましたが…あれは洗と清掃がメインでした)、周りで人の動きを一つずつ覚えながら、同時に、関係ない部署も含めていろんな方面からいくつもダメ出しされながら、仕事を覚えて今に至っています(よくよく思い出せば、電子マネーの機械とビールサーバーからビールを出すことだけだな!)。本職の人から見れば、なんちゃってにも及ばないバーテンダーなんです…。

さて、本職のテコンドーでは時折、指導した生徒に
『他の帯を見に行くので、これこれを練習しておいてください。』
というと、『せんせぇ!これ、何回やればいいんですかぁ?』という質問をいただくことがあります。
即答で申し訳ありませんが、『あなたが死ぬまでです!』と斬り捨てていますが何か?
そも、武道の技術というものは、生涯学習の名の元、自分の人生を通して何かを学び、また何かを発見しながら繰り返してゆくものであり、何回やったから完璧に達するなどという底の浅く、頂点が低く、奥行きが短く、幅の狭いものではありません。
こういう問答を大人にも子供にも平気で行う私に、『先生、子供に大人の話は…。』という方もいらっしゃる。では聞こう。その子はいつ大人になる?二十歳とか抜かすなよ。二十歳を過ぎた子供はたくさん見かけるぜ。そういう子供には大人になるまで武道などさせなければ良い。自分の手足を武器(分からないやつには一生涯凶器)にする武道に大人も子供も関係ないんだよ。

分からないことは人に聞く、見て学ぶ、そして体を動かして覚える。何度でも。

回数を決めないのは『芸事は満足したらそれまで』とか『技術は満足を境に衰退する』という名言を恐れての事。

抽象的に十を区切りにしても良いのです。その十回の中で何かを掴むことができたとしましょう。はじめの十回を終えたところで、自らもう十回。掴んだ何かをもっと確実にしようと努力するでしょうか?
逆に、何も掴めなかったとして、更に何かを捜し求めて、もう十回。繰り返すでしょうか?

居るんですよ。『先生に言われた回数やったから間違いありません!』と言い切る奴が…。ね?死ぬまでやってもらわないとこっちが安心できないんですよ。
人に聞けない状況もあるでしょう。そういうときは、人に聞く代わりに、自分の頭で考えればよいのです。

言われて分かった、聞いて分かったは頭の問題であって、身体の問題ではありません。
知行合一と言いまして、僕らは身体と頭の両方を一致させて初めて一つを為すのです。

技術は回数じゃない。